T型フォードとはどんな車?世界を変えた自動車生産の先駆け



この記事について
20世紀初頭、自動車は富裕層だけが手にできる贅沢品でした。
しかし、1908年にフォード・モーター社が発表したT型フォードにより、この状況は一変。
この車は自動車を一般の人々も買えるものにし、私たちの生活様式や社会の仕組みそのものを変えていくきっかけとなったのです。
今回のコラムでは、T型フォードの概要、誕生の歴史的背景、そして世界的に普及した理由について解説します。
自動車技術の発展が社会に与えた影響について、ぜひ一緒に考えてみましょう!
このコラムは、私が監修しました!
准教授北川 浩史Kitagawa Hiroshi機械工学
私の所属する研究室は「エンジンシステム研究室」といいます。エンジン(内燃機関)から排出される有害物質の低減や、軽油(化石燃料)に代わる代替燃料に関する研究を主に進めています。
また、私は自動車整備士の資格も持っているので、企業から持ち込まれる「自動車」に関する案件にも対応しています。その中には、いわゆるエンジンを持たない電気自動車の「電費」に関する研究だったり「自動車のラジコン化」といった研究もあります。
そうかと思えば、学内では「1926年製T型フォード」のプロジェクトメンバーでもあります。約100年前の自動車ですが、学ぶところが多くとても楽しいです。学内に常設展示していますので、ぜひ見に来てください!
目次
T型フォードとは?
T型フォード(Ford Model T)とは、アメリカのフォード・モーター社が開発・製造した自動車です。
1908年に生産が開始され、生産が終了したのが1927年。
その19年間でなんとモデルチェンジがないまま1,500万台以上が製造されました。
当時としては画期的な技術を採用しながらも、シンプルで頑丈な設計が特徴で、アメリカでは「ティン・リジー」、日本では「T型フォード」の通称で広く知られるようになりました。
当時のT型フォードの基本性能は以下のようなものです。
当時の自動車としては十分な性能を持ち、多くの人に支持されました。
- エンジン:水冷直列4気筒エンジン
- 排気量:約2.9リットル
- 最高出力:20馬力
- 最高速度:約60km/h
- 燃費:リッター当たり約5.5-9km
T型フォードの歴史
T型フォードの生みの親であるヘンリー・フォードは、「誰もが購入できる価格で、自分で修理可能な実用的な自動車を作る」という理念を掲げていました。
1903年にフォード・モーター社を設立したヘンリー・フォードは、小型車の「A型」から始まり、「B型」「C型」「N型」と改良を重ねていきます。
そして1908年、ついに彼の理想を体現した「T型フォード」が誕生しました。
翌年の1909年には年間1万台を超える生産を達成。
1910年にはより大規模な生産拠点として、ハイランドパーク工場がデトロイト郊外に完成しました。
この工場では、1913年からは画期的な流れ作業方式(ベルトコンベヤー方式)が導入され、生産効率が大幅に向上。
今まで1台の組み立てに約12時間かかっていた作業時間が、わずか1時間半に短縮されました。
この革新的な生産手法は、のちに「フォード・システム」と呼ばれ、大量生産を実現する仕組みとして広く知られるようになりました。
自動車の歴史を知ることで、現代の車をより深く理解できます。
今と昔の自動車にはどのような違いがあるのでしょうか?
「今の車と昔の車の違い!知れば驚く自動車の進化」のコラムもぜひご覧ください。
T型フォードが広く普及した理由

T型フォードがこれほど広く普及した背景には、いくつかの要因があります。
手頃な価格、使いやすさ、頑丈な設計、そしてさまざまなニーズに応える豊富なバリエーションなど、当時の消費者にとって魅力的な特長を備えていたのです。
手の届きやすい価格
T型フォードが急速に普及した最大の理由は、その手頃な価格にありました。
ヘンリー・フォードは「良い製品を安く提供する」という原則にこだわり、T型は発売当初から850ドルという比較的手頃な価格で販売。
これは当時の一般的な自動車の半分程度の価格でした。
それまで富裕層だけのものだった自動車が、一般の労働者も購入できるようになったのです。
製造コストを削減するために工程を分担し、ベルトコンベヤーを使った大量生産方式を取り入れました。
大量生産によるコスト削減で、T型フォードの価格は年々下がっていきました。
また、フォード社は当時としては破格の「日給5ドル」という高賃金を工場労働者に支払っていました。
これは、当時の標準的な工場労働者の賃金の約2倍です。
この高賃金によって、フォードの工場労働者自身もT型を購入できるようになり、購入者を増やす一因となりました。
使いやすさと頑丈さ
T型フォードは独特の歯車式変速機が採用され、現在のオートマチックトランスミッションのような仕組みでした。
当時のほかの自動車のようなマニュアルトランスミッションの操作に不慣れな人々でも扱いやすいものでした。
この使いやすさから、日本では大正時代に「乙種運転免許」という、T型フォードとオートバイのみを運転できる特別な免許区分が設けられたほど。
初心者でも習得しやすい操作方法が、T型フォードの大きな魅力でした。
また、シンプルな構造とバナジウム鋼を用いた堅牢(かたくて丈夫なこと。頑丈なこと)な設計により、ぬかるみがあるなど足元が悪い道でも支障なく走行できる頑丈さも魅力の一つ。
「バナジウム鋼」は、軽さと耐久性を両立した、当時としては画期的な素材の一つでした。
特に農村部の人々にとっては、壊れにくく自分で修理できる自動車が必要とされていたのです。
豊富なバリエーション
T型フォードには、さまざまな需要に対応するボディタイプが提供されていました。
- ツーリング:5座席でオープンタイプの主力モデル
- ラナバウト:2座席でオープンタイプの最もベーシックなモデル
- クーペ:2座席でクローズドボディのモデル
- セダン:5座席でクローズドボディのモデル
- トラック(モデルTT):荷物運搬に適した商用車モデル など
これらのバリエーションにより、家族用、単身者用、商用などさまざまな用途に対応でき、ユーザーが広がっていったのです。
T型フォードとは大量生産が生んだ革命的大衆車
T型フォードとは、1908年にフォード・モーター社が発表し、自動車の歴史を変えた革命的な大衆車です。
ヘンリー・フォードの「誰もが買える実用的な自動車」という理念のもと、ベルトコンベヤー式の生産ラインによる効率的な大量生産を実現。
手頃な価格、シンプルで頑丈な設計、歯車式変速機による扱いやすさ、多様なボディタイプが特徴です。
19年間で1,500万台以上が製造され、それまで富裕層だけのものだった自動車が初めて一般大衆にも普及。
自動車社会への扉を開いた、まさに「車の大衆化」の象徴的存在といえるでしょう。
北海道科学大学工学部機械工学科で未来を見据えたものづくりを学びませんか?
北海道科学大学工学部機械工学科では、最新のマシンを設備し、時代の一歩先を見据えた「モノづくりの精神」を育成します。
T型フォードが切り開いた大量生産技術や自動車の基本設計は、現代の自動車工学の基礎となっており、本学科でもそうした機械設計・生産の原理から最新技術までを幅広く学ぶことができますよ。
必修科目の3分の1が実習系科目になっているので、リアルなものづくりを学べる環境が整っています。
専任教員の63%が民間企業経験者なので、理論だけにとらわれない、実践的な知識を身に付けることができます。
卒業生はゼミで学んだ専門性を生かし、幅広いものづくりの現場で活躍していますよ!











