ロゴマークについて

多様な学びや研究とその成果が、未来の社会に向かって広がっていくことを表しています。輝きをイメージさせる色で、50周年を越えたさらなる発展を示唆しています。

ごあいさつ

西 安信

学校法人 北海道科学大学

理事長 西 安信

北海道工業大学が高度成長期に当たって工学技術者育成への強い要望に応えて開学したのは1967年のことで、明年創立50周年を迎えます。開学当時の入学定員は機械工学科と経営工学科の2学科で僅かに120名でした。私が建築工学科(現工学部建築学科)に赴任した1976年7月には、開学後10年間で順次、電気・土木・建築工学科の3学科が開設され入学定員は500名に拡大していました。以来40年間に亘り、教員・学長・理事長として本学の運営に携わってきました。

私はそれまで通算5年間に亘り勤務していた米国イェール大学との環境の違いに愕然としたこともありましたが、その頃就任された民間企業の経験のある林一郎学長の大学運営上の英断を見て、これから発展する可能性を秘めた大学と確信し、全力を託す覚悟を決めました。1978年に入試部長を任され、約1千人の志願者から、800人の入学者を確保するという難題を命ぜられ、まずは大学の認知度を向上すべく入試業務関係者と知恵を絞り、オープンキャンパスの原型となった「サマーセミナー」の開講や大学広報紙「ニュースレター」の創刊などに取り組みました。一方では、大学院の開設に向けた研究業績向上に対する若手教員の研究活動も高まり、1990年には念願の大学院が開設しました。

1987年の創立20周年を期して竣工した図書館の庭に、近く開封するタイムカプセルを設置し、ニュースレターには、「・・道工大も着実に発展し日本を代表する大学になっているであろう。キャンパスもすっかり生まれ変わり、綠の森の中の高層建築に生まれ変わっているであろう。」と記しました。その年、球場を図書館に提供した野球部は1部昇格を遂げると共に、道6大学野球リーグ戦に初出場・初優勝の快挙を成し遂げ、大学全体が一つに纏まった瞬間でもありました。その後、G棟の竣工、学科の改組や新設を経て、工学部の単科大学から保健医療学部を開設し、大学名を一新した北海道科学大学には道内で最多の志願者数にもなり、30年前の想いが現実のものになろうとしています。

平成30年4月からの北海道薬科大学との統合後には、道内では最大級規模の大学が実現します。常に前向きに一連の改革に共に取り組んでくださった、教職員ならびに学生諸君の熱いご支援とご協力に感謝しつつ、さらに100周年ブランドビジョンに謳う「2024年までに、基盤能力と専門性を併せ持つ人材を育成し、地域と共に発展・成長する北海道No.1の実学系総合大学を実現します。」と言う約束が果たされることを願っています。

苫米地 司

北海道科学大学
北海道科学大学短期大学部

学長 苫米地 司

本学の開学に至る経緯を紐解くと、1966年6月10日に開催された学園理事会で4年制大学として北海道自動車学園大学を設置し、北海道自動車短期大学を北海道自動車学園大学短期大学部に変更することが決議された事に始まります。しかし、文部省との折衝の中で、この構想の再検討を余儀なくされ、大学名称を北海道工業大学に変更して1967年に、学則の「目的・使命」に「地域社会の発展に寄与する」と謳い、機械工学科97名と経営工学科83名の1期生を迎えて開学しました。

開学から5年後の1972年に建築工学科1期生として入学した私が見たキャンパスは、周りに遮る物もなく手稲駅から一望できる状況でした。キャンパスにたどり着くと、校舎は工事中で足場の掛かった状況で、不安が募るばかりの学生生活の始まりでした。その後、何度かの改組を経て、開学時の「1学部2学科」から「3学部12学科」の学生数3千人を超える道内屈指の大学となった現在、再整備されたキャンパスに集う学生の姿は開学当初を彷彿とさせ、感慨を深くしております。

さらに法人の設置校である北海道薬科大学と北海道科学大学短期大学部(前北海道自動車短期大学)が前田キャンパスに移転し、はからずも本学創立にご尽力された先人の始まりのビジョンが実現されたことは、50周年を節目に次の50年への再スタートを切りなおすに相応しい環境といえましょう。

同窓生の皆様、教職員の先輩諸氏が築いてこられた歴史を振り返りつつ、学園創設100周年にむけた「北海道№1の実学系総合大学」への歩みを進めるべく、大学の開学50周年を記念する各種事業を計画しております。本学の発展に携わっていただいた皆様方への心からの感謝と共に、ご支援をお願い申し上げます。